なんてアホで無謀な挑戦をしたのだろうか。自分は本当に行ってきたのだろうか。
あれは現実だったのか、夢であったのか。それが達成した後の感想である。
平成13年8月、突如「大学のある埼玉県川越市から自転車で宮城県仙台市にある青葉城公園の伊達政宗像を目指して自転車旅行をしよう」
という話が浮上し、自分と大学の友人である通称“貫ページ君”と“芋”の3人による多数決で、
あれよあれよという間に2対1で可決されてしまったのである。そして、その挑戦は現実と化したのである。
のんびりと午前8時30分に東武東上線若葉駅に集合し出発する。
ところが、出発してわずか1時間足らずの地点でページ君が早くもペースダウン。
その原因は、普段、彼が使用している目覚まし時計を始め、10冊近くある地図や旅行雑誌、
家出をしているかと思うくらいの必要以上の荷物を持ってきたからであった。
それでも致し方なく、共有の荷物を3人で分担しながらこぎ続けた。
ようやく利根川を渡って茨城県に突入した頃、ちょうど腹が減ってきたので、昼食は境町のラーメン屋でラーメンを食べた。
この時、自分と芋はラーメンをきちんと食べたのだが、ページ君はワンタンしか食べ(飲む?)なかった。
このことが関連して後に重大事件をもたらすとは、この時は予期もしなかった。
昼食後、一直線で水戸を目指すつもりであったが、ごちゃごちゃした道に迷ってしまい、
目標方向とは違った真東のつくば市の方向に進んでしまった。
北の方向に向かうはずが、少々南下してしまった。
腹が減っては戦は出来ぬと、ガストに入り夕食をとった。
ページ君は疲れきって白目をむいて寝てしまった。
そして、この日の目標とした石岡に到着した。しかし、運悪くバトミントンの地方大会が行われていたらしく、
電話帳でビジネスホテルや民宿を引き、手当たり次第電話をかけてみるもののどこの宿屋も満室であったのである。
そこで、しかたなく駅前の宿屋に満室覚悟で飛び込みを試みるものの案の定満室であり宿泊を断られる。
宿屋の軒先で「あ〜ヤバイな。今夜寝るところないよ〜。どうする?」と宿屋の人に聞こえるように話し、
宿屋の人の使っていない部屋を借りる事に成功した。我ながら図々しいやり方であったが見事成功し、無事に床に就くことが出来た。
昨夜、飛び込みで宿泊したために朝食が出ないので、早々と宿を出発し近くのセブンイレブンで朝食をとる(カップ茶漬け、オレンジジュース、他)。 東海村の喫茶店で昼食をとる(焼肉ピラフ)。 昼食後、午前中のペースを考えてうえ、今日の目標を福島県いわき市の小名浜とした。 ところが、日立市に入ったとたんに国道6号線は起伏の激しい道となり、ペースが大幅にダウンする。 特におよそ2kmも急勾配の上り坂が続く「石名坂」と呼ばれる所は心臓破りと呼ぶにふさわしい所であり、この旅で最も厳しい所であった。 この日、ページ君は昼食後に「しゃっくりが止まらない病」に感染し、ペースダウンした。
宿で朝食を食べて、すぐに宿を出発して洗濯のためにコインランドリーを探す。
コインランドリーを小名浜の中で発見し、結局洗濯が終わった時には午前10時をまわってしまっていた。
それから急いで出発し、海岸線の道を北上していったが、海風が強く行く手を阻まれた。
それでも風と戦いながら進み、
昼食は新舞子浜というところで太平洋を眺めながらパンを食べた。が結局パンだけでは足りずに、コンビニ(?)でうどんも食べた。
昼食を食べて食休みをしていると、同年代らしき人が近寄ってきた。話を聞いてみると彼も自転車で旅をしてるらしく、
青森県のという本州の最北端まで行ってきたということだった。
フル装備で野宿で旅をしてきたらしい。もちろん、ママチャリではなくマウンテンバイクだけど。
午後になると突然の豪雨に襲われ、カッパを装着する間もなく全身を雨で濡らしてしまい、体力と気力を奪われた。
この日は、朝6時に朝食を食べて、すぐさま前日の遅れを取り戻すべく出発した。
そして、この日はひたすら仙台に到達すべくこぎ続ける。
この日、午前中かなりのハイペースであったページ君は、またも昼食を食べた後、突然「ゲップが出ない病」に感染し、一気にペースダウンした。
いつもよりもゆっくりと起床し、最後の日と踏ん張りで、最終目的地である伊達政宗像を目指すべく青葉山に登った。
そして、遂に「伊達政宗像の隣で自転車に乗ったまま写真を撮るぞ!!」という大きな(?)野望を達成したのである。
その後、一緒に仙台に来た友人2人は体力の限界を訴え、2人は仙台駅から電車で帰るということで、青葉山の下で2人と別れた。
すなわち、そこから自身単独で復路にのぞむことになったのである。
単独になった後は、とりあえずコインランドリーを探しながら南に向かった。
そして、仙台市内でコインランドリーを発見したので、そこで洗濯をしながら昼食も済ませた。
昼食後は、途中でコンパクト空気入れを買いながら、ひたすら南下した。
道路は、予想していたよりも傾斜がなだらかで、歩道もしっかりしていたのでとても走りやすかった。
福島市のシンボルとも言えよう信貴山のふもとを走っていると、もう少しで宿というところで夕立にみまわれた。
昨晩から泊まっていた宿は、フロント前で朝7時から数量限定のバターロールとコーヒーの無料サービスがあったので、
7時ちょうどにフロント前に行き、バターロール3個とコーヒーを無事に獲得できた。
その後、朝食を食べて荷物をまとめ、午前8時に宿を出発した。
出発して間もない福島南バイパスでは、自分の横をビュンビュン飛ばして先に行く車を見て「早いなあ」と思っていたが、
その先で取締りの白バイに捕まって「すいません」と言っている車の運転手を見て、ひそかに喜んでいた。
その後も、歴史ある二本松の旧城下町など、奥州路を満喫しながら突き進んだ。
しかし、この日の午前中は自分にふさわしいペースをはるかに上回ったペースで進んでしまったらしく、かなりの体力と気力を消耗してしまった。
そして、郡山のラーメン屋で昼食を食べているとき、麺やスープを吸いながら呼吸困難に陥っていた。
昼食を食べたあとも、郡山の盆地に強く注がれる日の熱さにもやられて、
コミュニティーセンターのような施設の駐車場でしばらくダウンしていた。
この時、この旅で初めて「体力の限界か?今日で終わりにしようか?」などのリタイアの文字が頭をよぎった。
しかしその時は、場所が場所で、リタイアしたくてもリタイアのしようがない状況下にあったので、しかたなく再び自転車をこぎ始めた。
その後は、午前中の反省から、自分に余裕のあるペースを心がけながら気力だけでこぎ進んだ。
その心がけが功を奏したのか、体力が若干回復し、「何としても自力で帰るぞ。リタイアはしない。」という気力も復活した。
そして、この日の目標を黒磯に設定したのである。
福島と栃木の県境を越えると、那須高原へと行く上り坂が続いた。登るにつれて高原の気候になり、空気も薄くなっていった。
それでもこいでいると、峠の頂上らしきところにジュースの自動販売機が見えたので、そこで休憩をとることにした。
そして、その自動販売機に近づいてみると、赤いランプがほとんどのボタンについているのでみんな売れきれなのかと思っていた。
そうしたら、なんと釣り銭の取り忘れで400円が入りっぱなしになっていたのである。
もちろん、そのままジュースを買ったのは言うまでもない。釣り銭も頂いた。
そんな事で、一人喜びながら山の中を進んでいると、先の釣り銭の天罰がくだったのか、突然の雷雨に見舞われた。
往路での反省から、すぐさまカッパを着たが、着てからちょっと進んだだけで雷雨がおさまった。
そこで「まさか、脱いだらすぐに、また雷雨にやられるんじゃないだろうなあ」と思いながら、当然のようにカッパを脱いで進んだ。
すると、本当に雷雨が再びやってきた。「これはギャグですか?」と思った。
山を抜けて高原らしいなだらかな地形に出ると、ようやく目標の黒磯の宿に到着した。
しかし、宿に到着したのは良いのだが、お盆という時期と当日予約という事からか、
本に掲載されていた宿泊料金の倍に近い料金を請求されてしまい、かなりの金銭的ダメージと、それ以上に精神的ダメージを喰らった。
そんなショックと空腹のなか、夕食を買いにコンビニ(なのか?)に行くと、ちょうどこの日に黒磯で少女誘拐事件があり、
レジのおばちゃんににその話で20分ほどつかまった。当然ながら温めた弁当も冷めた…。
「何が何でも今日中には帰宅するぞ」
と思っていたので、宿を朝6時過ぎには出発した。
しかしながら、まるまる1週間も1日12時間前後のペースで自転車をこいでいた足は、かなりの疲労を蓄積していたようで、
一晩の睡眠ではもはや完全に回復することが出来ずに痛みを生じ始めていた。
それでも、痛い足を動かしながら30分ばかり進み、西那須野の牛丼屋の「すきや」で朝食をとった。
朝食の後は昼食を宇都宮でとることを目標とし、ひたすら国道4号線を東京方面に向かってこぎ進んだ。
高原から平野へと、地形的には上り坂がほとんど無かったのでハイペースを保つことが出来たが、
那須高原から関東平野に下っていくにつれて涼しい気候から蒸し暑い気候へと変わっていくのが肌に感じられた。
結局、午前中はお昼の目標であった宇都宮市を午前11時頃には通過することができ、
昼食は小山市の一歩手前にある国分寺町の「マクドナルド」でチキンタッタセットを食べた。
もはやその後は、夕食を自宅で食べるという事だけを目標に突き進んだ。
そして、午前中のペースを落とすことなく栃木県と茨城県を脱出し、午後2時30分、遂に埼玉県に突入した。
しかし、そこからかかった時間がかかった。
それは、渡良瀬川を渡って埼玉県に帰ってきただけで「やっと帰ってきたぁ」
という気持ちになってしまったために、
それまでのペースが極端に落ちてしまったのである。
そこから30分おきくらいに休息をし、1週間前に通った道をのろのろと逆走していった。
そして、埼玉に入ってから3時間、1週間前にスタートした若葉駅前にようやくたどり着いたのである。
そこから、最後のひと踏ん張りでアパートを目指した。
その途中で、さすがに帰宅してから夕食を作る気力は残っていなかったので、
「ほっかほっか亭」でサーロインステーキ弁当と「セブンイレブン」でドリンクとデザートを買って帰り、
帰宅後、一人で密かに帰宅祝いをしたのであった。 おわり。