エアーニッポン 八丈記
平成13年3月5日〜7日の八丈島での生活の日記。
当選のハガキ

 平成12年の三宅島・雄山の大噴火、新島・神津島近海地震などの災害により観光客が激減してしまった伊豆諸島は、 伊豆諸島の観光復興に全力を挙げて取り組むために、 平成12年11月20日、東京都・伊豆諸島各町村・観光協会・観光関連業者を中心に伊豆諸島観光復興協議会を結成した。 そして翌年1月、観光客の視点から島を活性化、観光復興をさせようと、 新聞紙上などで「伊豆諸島観光復興調査員派遣事業」として、伊豆諸島観光復興調査員となるボランティアを募集したのである。

 その記事を発見した#42は、高校時代の友人であるsammy、ウッチー、横○隊長と共に応募し、みごと当選。 そして、2泊3日の“東京都亜熱帯区八丈島”への旅に行くことが決定したのである。


3月5日(月)
鶴ヶ島〜浜松町〜竹芝港〜(太平洋)

高崎から乗ってきたsammyとウッチーと大宮駅で合流し、 sammyがオバサン連中から死守してくれていた席に横○隊長とともに座り、浜松町を目指した。 浜松町駅に着いてからは歩いて竹芝港に向ったが、集合時間まで時間があったので、我が人生初となる屋台ラーメンを食した。 味はともかく会社帰りのサラリーマンの雰囲気は格別であった。
 集合時間となり事務手続きを終えて船に乗り込むと、八丈島行きの船「すとれちあ丸」は定刻どおり午後10時30分に竹芝港を出発した。 最も船底にある二等席の自分達の指定スペースに荷物を置いて甲板に出てみると、 お台場のレインボーブリッジやフジテレビなどの美しい夜景が見え、その夜景を男4人で眺めて喜んでいた。(ToT)

3月6日(火)
(太平洋)〜(八丈島)〜底土港〜ふるさと村〜玉石垣馬路〜大坂トンネル〜服部屋敷〜昼食「いそぎえん」〜 黄八丈染元〜名古の展望台〜登龍峠〜八丈富士裾野1周〜南原千畳岩海岸〜民宿「椿荘」

 日付が変わっても嵐は収まるどころか激しさを増し、船が横45度近く傾くこともあり船内では荷物が棚から落下するなどもしていた。 もちろん気分を悪くしトイレに一晩中こもらざるを得ない人たちも多くいた。 自分も気分こそ悪くはならなかったもののさすがに眠りに就くことは出来なかった。 そして、ようやく嵐が落ち着いたと思ったら、そこは八丈島の港であった。船を降りると、八丈太鼓が打ち鳴らされていた。
 その後は、本来の目的である島内レポートを作成しながら八丈町の専用バスで観光名所を見てまわった。 しかし、昨夜の嵐でダウンしている人がほとんどであった。
 昼食は、流人が赦されて本土に戻るときのお祝い料理として作られたと思われるものを再現した「ご赦免料理」を食べた。

3月7日(水)
民宿「椿荘」〜都立八丈植物公園〜中之郷〜裏見ヶ滝〜中之郷〜地熱発電所〜昼食「あそこ寿司」〜 島酒焼酎工房〜八丈島歴史民族資料館〜八丈富士牧野ふれあい牧場〜八丈島空港〜(本土)〜羽田空港〜浜松町〜池袋〜鶴ヶ島

 昼食は『あそこ寿司』という寿司屋で「島寿司」を食べた。
 本土への岐路は人生初となる飛行機であった。 行きはゲロゲロしながら十時間近くかけて行ったのにも関わらず、 八丈島空港を出発したエアーニッポンの飛行機は1時間足らずで羽田空港に到着した。 「行きの10時間は何だったんだろう…。」
浜松町行きのモノレールの乗り場を発見するのに散々空港内をウロウロした後、どうにかモノレールで浜松町に着き、 浜松町で仲間と解散した。その後、池袋の松屋で牛丼を食いながらアパートに帰宅し、すぐさま爆睡した。おわり。




八丈植物公園 山から港を
海岸写真 隊長とsammy
写真に写っている人間は…左から「ウッチー」「#42」「sammy」と「横○隊長」。